2009年11月5日 星期四

摩訶般若心經(日文)

ぶつ  せつ   ま      か    はん  にゃ   は    ら   みっ    た   しん  ぎょう
佛 說



觀自在菩薩     


かんじざいぼさつ


観音様が


行深般若波羅蜜多時 

ぎょうじんはんにゃはらみったじ 清らかな叡智を深く働かせておられた時

照見五蘊皆空

しょうけんごうんかいくう 五つの要素は皆空であることに気づき

度一切苦厄

どいっさいくやく 全ての苦厄から解放されました。

舎利子

しゃりし シャーリープッタよ。

色不異空 空不異色

しきふいくう くうふいしき 色は空に他ならず、空は色に他ならないのです。

色即是空 空即是色

しきそくぜくう くうそくぜしき 色はすなわち空であり、空はすなわち色なのです。

受想行識 亦復如是

じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ 受・想・行・識もまた、これに同じです。

舎利子

しゃりし シャーリープッタよ。

是諸法空相

ぜしょほうくうそう 全ての法は空の相なので

不生不滅

ふしょうふめつ 生まれたり消えたりするものではなく

不垢不淨

ふくふじょう 汚れてもいないしきれいでもなく

不増不減

ふぞうふげん 増えたり減ったりもしません。

是故空中

ぜこくうちゅう この空の中にある以上、

無色 無受想行識 

むしき むじゅそうぎょうしき 色は無であり、受や想や行や識も無であり、

無眼耳鼻舌身意

むげんにびぜっしんに 眼耳鼻舌身意の六根も無ですし、

無色聲香味觸法

むしきしょうこうみそくほう 色聲香味觸法の六境も無ですし、

無眼界乃至 無意識界 

むげんかいないし むいしきかい 眼界も無、意識界も無です。

無無明亦無無明盡 

むむみょうやくむむみょうじん 無明(愚かさ)というのも無ですし、

無ゆえに尽きることのないものです。

乃至無老死 亦無老死盡

ないしむろうし やくむろうしじん 老や死も無ですし、それもまた

無ゆえに尽きません。

無苦集滅道

むくしゅうめつどう 苦・集・滅・道さえも無です。

無智亦無得 以無所得故 

むちやくむとく いむしょとくこ 智も無ですし、得も無です。

なぜなら得る所も無ですから。

菩提薩 

ほだいさった  悟りを求める人は

依般若波羅蜜多故 

えはんにゃはらみったこ 般若波羅蜜多を拠り所にしますから

心無

しんむけいげ 心にこだわりが無く、

礙故 無有恐怖

むけいげこ むうくふ こだわりが無い故、恐怖心がありませんから

遠離一切顛倒夢想 

おんりいっさいてんとうむそう  一切の顛倒した夢想を離れて

究竟涅槃 

くぎょうねはん 涅槃を完成させます。

三世諸佛 

さんぜしょぶつ 全ての仏も

依般若波羅蜜多故

えはんにゃはらみったこ 般若波羅蜜多を拠り所にしますから

得阿耨多羅三藐三菩提

とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 阿耨多羅三藐三菩提の境地を得ました。

故知

こち ゆえに知るべきです

般若波羅蜜多

はんにゃはらみった 般若波羅蜜多は

是大神呪

ぜだいじんしゅ 大いなる力の言葉であり、

是大明呪

ぜだいみょうしゅ 大いなる光の言葉であり、

是無上呪

ぜむじょうしゅ この上なく尊い言葉であり、

是無等等呪

ぜむとうどうしゅ 並ぶもののない言葉です。

能除一切苦

のうじょいっさいく 一切の苦を取り除いてくれる、

眞實不虚

しんじつふこ 真実の、いつわりのない言葉です。

故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

こせつはんにゃはらみったしゅ そくせつしゅわっ それ故に般若波羅蜜多の呪は次のように言われます。

羯諦羯諦 波羅羯諦

ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい 行こう、行こう、とらわれのない世界へ行こう

波羅僧羯諦

はらそうぎゃてい 素晴らしい所へ行こう

菩提娑婆訶

ぼじそわか 全ての人に幸あれ。

般若心經

はんにゃしんぎょう ここに般若心經を終わる。

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